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獨り言

前から獨り言が多いけれど、最近は大分ひどくなつた。思ひもよらぬことが口から出てきて驚くこともある。

いつの間にか發音練習モードになることがある。スーパーで Amselkeller といふ赤葡萄酒を見付けて嬉しかつた時は、ドイツ語では第一音節にストレスが來るかな、アムゼルケラー、アーンゼルケラ、アーンゼルケラー、アー、アー、アーンゼルケラ。ゼーア、グート、ヤー、エス、イスト、アンゼルケラ。アーンゼルケラ。人が通りかかつて、しまつた、またやつた、と思ふのだ。

自轉車に乘つてゐて、「森さん」はフランス語で、モリサン、モリソン、モギソン、モギサン、モギソン、最後の鼻音はフランス的に、オン、オン、アン、オン、モギソン。「リョーチャン」ならリオシャン、リオション、ギオション、ギオシャン、ギオション、ウイ、ギオション、ノン、ギオション、マドモワゼル、ギオション。メ、ウイ。すれ違つた人は頭の弱い人だと思つたに違ひない。まあいいのだ。それはそれで當たつてゐる。

休憩に立つてお茶を沸かしたりしてゐると我知れず「ダミダー」などと言つてゐる。慌てて「大丈夫、頑張れ」などと言ひ直す。そして「はい」と答へる。

こちらでの獨り言につきあつていただいた方も多いやうでありがたうございます。みなさん、良いお年をお迎へください。

はい。

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ヨーグルト

冷藏庫を覗くとなまものがない。卵とじやが芋しかない。これもちよつと嬉しいのだ。今日は乾物スペシャルの味噌汁だ。椎茸昆布で出汁をとり、ひじき、切り干し大根、高野豆腐、車麩、若布。なんだ、色はしぶいが具澤山ではないか。

夕方はこれに卵を落として召し上がるのだ。なまものなんか無くてもいいのだ。買ひ物もしなくていいのだ。と思つてゐたら、夜になつてから、今日はつぎのヨーグルトを作る日だつたことを思ひ出した。低温殺菌牛乳を買ひに行くことにした。牛乳は低温殺菌が美味しいのだ。

效率よく買ひ物をすませることができない。ぼう、としてゐるからでもあるが、なぜかスーパー一つではすまない組み合はせを買ひたくなるから考へて廻らなければいけないのだ。

自轉車を使へばすぐにすんでしまふけれども、なるべく歩くやうにしてゐる。その買ひ物が一日一度の外出になることも多いからこのくらゐは運動しなくちや。今日なんか危ふく外出なしになるところだつたもんね。

低温殺菌牛乳を買へるスーパーは二つ。兩方とも家から遠めで反對の方向。だからこれを決めれば買ひ物コースが決まる。これもゲームみたい。

無調整の豆乳が買へるスーパー、茸が豐富なスーパー、好きな豆腐(男前豆腐、風に吹かれて豆腐屋ジョニー)が買へるスーパー、大粒とか中粒の納豆が買へるスーパー、テンペが買へるスーパー、好きなナチュラルチーズが買へるスーパー、高價いスーパー、安いスーパー、近いスーパー、遠いスーパー、個性があるのはいいけれどなかなか考へさせてくれるよ。

と、思ひながらやうやく低温殺菌牛乳スーパーに到着。賣り切れだつた。かういふ時に、なぜか賣り場を行つたり來たりしてしまふの。さうだ、テンペはここにしかないや。テンペ買ひませう。

さうしてもう一つの低温殺菌牛乳スーパーに行くのだ。さうだ、あちらには豆腐屋ジョニーがゐるはずだよ。ジョニー買はうジョニー。寒いな。葡萄酒がなかつたな。あああ、しまつた、今のスーパー1000圓でも美味しいシュペートレーゼがあつたんだ、もうだいぶ來ちやつた、まあいいや、豪州のシラーズ君がゐるはずだ。赤で行かう、赤はいいよ。あ、豆乳、豆乳が買ひ物コースからはづれちやつた。遠囘りだもんなあ、今日はいいか。ああ、玉葱も高くつくな、しやうがないや。

買ひ物ゲームも難しいのだ。

牛乳を手に入れて豪州の赤の前に立つてみたのだけれど、どうも自分のもののやうな氣がしない。かういふ時も賣り場を行つたり來たりしてしまふ。冷凍食品のたこ燒きがある。たこ燒きに、ほんとに蛸が入つてゐることを知つたのはいつだつけな。「大きな蛸の入つたたこ燒きが」なんて言つてゐる友達に「蛸の入つたたこ燒きなんてあるの?」と言つて唖然とされた。「あ!もしかしたら蛸が入つてゐるからたこ燒き、て言ふのか!」やつぱり味に鈍感だつたのかなあ。

さうしてアイスクリームが目にとまつた。これ、今欲しいかも。スーパーでアイスクリーム買ふの、何年ぶりだらう。さうかあ、自分はこれを欲してゐたんだなあ。チョコレートアイスにクッキーアイス。

美味しい。

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菜食趣味2

どうしてもしたいのに我慢する、といふのが苦手だ。どうしてもしたいことが惡いことならしちやいけませんが。

肉や魚は、ぼくにとつてはどうしても毎日必要なものではなかつた。思ひ出すことがいくつかある。

一人暮しをはじめた當初(たうしよ)、外食にたよつてゐると自分の必要以上に肉や魚ばかり出てきてびつくりした。外食といつても生協とかさういふところだけれど、ああ、今日は肉も魚も要らないや、と思つて野菜炒めをたのむと、「野菜炒め」に豚肉がたくさん入つてゐる。ちよつとしたおかずには必ず肉か魚が入つてゐる。主菜になりさうなものには必要以上に入つてゐる。

一人暮しを始める前は特に肉も魚も氣にしてゐなくて、肉魚だから好き、といふのもなければ嫌ひもない。料理がうまいときはうまい。ところが欲しい以上に攝取することになるから氣になる。

友達と鍋をつつく時に「肉だ肉だ」なんて言つて珍重するのも少し不思議だつた。遊びとしてはその言葉のやりとりに參加するのだけれど、なにか時代錯誤的なサザエさん家族のつつくすき燒きみたいな氣分なのだ。ところが、何度か鍋を圍むうちに肉のうまさが分かつた。

大人になるまでは、味に無關心だつたのか鈍感だつたのか、肉がどんな味がするとか、白菜がくたくたになると美味しいとか、さういふことを食材の個性として認識せずにとにかく食べてうまいと感じて滿足してゐたのだ。

燒肉的な樂しさも分かつた。とにかく肉を食ひまくりたいときに食ふ充實も知つた。

けれども普段はそんなに要らないのだ。

家で食べてゐたものはどんなものだつたらうか。それほどへんてこなものは食べてゐないと思ふ。御飯に味噌汁かスープがあつて、あとは氣まぐれといふのが一番多くて、オーブンを使ふ料理が出てくると嬉しい。漬物と煮物がほとんどなかつたのは特徴なのかもしれない。肉も魚もたぶん毎日食べてゐたはずだけれど、申し譯ないことに分量も何もよく覺えてゐない。臺所(だいどころ)でじいつと作業を眺めてゐるのも好きだつたし、手傳ふのも樂しかつたし、食べてとてもとても美味しかつたのだが、振り返ると何を日常的に食べてゐたのか、どんな調理法だつたのか、あまり記憶にない。

「あんたは一生懸命作つた料理より納豆御飯の日の方が喜んだりするもんだから、ずいぶんがつかりさせられた」などと言はれるわけだ。

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菜食趣味

外では何でも食べるので氣がつかれないはずなのだけれど、先日のカレー談義で少し話題にしたので菜食趣味について。

數箇月ほど前から自宅ではほぼ乳卵菜食といふのをやりはじめた。ルールは「食材として乳製品と卵以外の動物性食品を新たに買はない」といふゲームなのだ。なんだか面白いのだ。

「食材として買はない」のであつて、外でも家でもなんでも食べる。家にあつた動物性食品が少しづつ消費されて行く。生のものはないけれど、いろいろ買ひ置きがあるんだな。貝の干物、カップラーメンや袋入りの即席麺、冷凍食品、即席スープ、どんどん食べる。食べずにおいてあつたものが消費される氣持良さもある。あとは麺つゆ一瓶、コンビーフ一罐、鮭味噌煮一罐、即席スープ四食分。ゴールは近いぞ。

別に主義も主張もないのだけれど、肉や魚介類が毎日食卓に上るのがどうして當たり前なのかな、とか、御馳走といふと肉や魚介類がメインになるのはどうしてかな、とか、外食すると必ずなんらかの形で肉や魚介類をとらざるをえないのはどうしてかな、といふぼんやりとした疑問は前からある。

好き嫌ひはあまりない方だ。特に「嫌ひ」の方は芋蟲、毛蟲、幼蟲、蜘蛛の類が食はず嫌ひなぐらゐだ。ここらへんは、情況によつては、火を通してあれば頑張つて食べるかもしれないが、生ではおそらく無理だ。目をつぶつて食べたら美味しいかもしれない。いや、無理だ。これは食はず嫌ひさせてもらふ。

昔のニューギニア高地風だと、かたいバナナに切れ目を入れてそこに口で噛みほぐした生姜や木の葉などの調味料をぶぶーと吹き込んでから燒く、といふやうなことをしたさうだけれど、かういふ調理をしたものもできれば避けたい。

歐米人の多くはサゴ澱粉が苦手らしい。味よりは觸感といふのか、もちのやうな感じが駄目なやうだ。信じられないことである。味がついてゐなければどうといふ感動もないけれど、味つけしたサゴ澱粉のうまいことといつたらない。殘念ながらよく行く地域にはサゴ椰子が生えない。

美味しくない食材といふのはたしかに存在する。羊齒の類とか木の葉である。これだつて、別に積極的にまづいわけではないので、出されれば殘さずに、それなりに樂しんでいただくのである。

積極的に不味いものといふのは、そもそも食材にはならないのだ。一度、噛めば噛むほど糞の味のする肉の塊をもらつたことがある。これは吐き出してしまつた。どうもお尻の方の食へない肉だつたのか、處理を怠つたのか、さういふものだつたやうだ。殘した肉をだれも食べずに捨ててしまつたのはその時だけのめづらしい經驗だつた。さういふものでなければ、なんでも食べる。

で、特別な時を除けば毎日芋と野菜ばかりの生活をして、日本に還つてくると「肉や魚を食べないなんて味氣ないでせう」とか「蛋白質が足りてゐないんぢやないか」とか「日本に還つてきたのだから思ふ存分肉魚を食べなさい」とか言はれるわけである。これが少し不思議なのだ。

ニューギニア高地の食生活では、蛋白質が少な目なのは有名らしい。豆もそれほどしよつちゆうは食べない。その代はりかなり大食ひだと思ふ。現地の人たちは蛋白質の攝取が少なくても良いからだになつてゐるのだとかいふ。非現地人が同じやうな生活を續けたら蛋白質不足になるだらう。それは、多分さうなのだと思ふ。

しかし肉や魚がないから寂しい、のではないと思ふのだ。慣れてしまつたからだらうか。さうではないのではないか。

味つけがないから味に餓ゑることはある。鹽と油はひとの分まで町で買つて村に入る。自分用には醤油も用意する。これでかなりしのげる。

チーズや納豆やキムチに餓ゑることがある。アメリカ人の宣教師さんのところに行くとピザ好きの人が來たといふのでピザを御馳走してくれる。町に韓國人が何人も住んでゐたころはキムチをよくお裾分けしてもらつた。パプア・ニューギニアでいただくキムチはチョッカルなどの魚介類が入つてゐないのが特徴的かもしれない。納豆は手に入らない。

パプア・ニューギニアでは、たまあに肉や魚を食べるのは大御馳走だ。豚を屠る特別な時でなくても、最近ではお金と時間をかければ町で肉が買へる。店で買へる一番一般的な肉はニュージーランドやオーストラリアからの輸入羊肉だ。いろんな部位がごちやまぜになつて段ボール函にぎゆうぎゆうに詰められて冷凍されてゐる。妙な着色料が表面についてゐたりするのは品質を示すはんこのあとではないかと思ふ。質の惡い肉が廻されて來るのだといふ人もゐるけれど、恪別にうまい。

すつかり羊肉のファンになつて、日本でも肉を買ふときは羊肉を買つて食べることが多かつた。日本の羊肉もニュージーランドから來たものがほとんどだけれど、どうも味がお上品なやうだ。さうして、小さなパックに綺麗に竝べてある。

話の收拾がつかなくなつてきたぞ。

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カレー

今日食べるものはあつたのだが、買ひ物をしてゐたら急に日本風のカレーが食べたくなつた。

カレー粉から作るのは少し面倒だな、ルーがあれば簡單にできるのだけれど、あれれ、みんな肉エキスが入つてゐるなあ... と、新タイプカレールウといふのがあつた。あと適當に好きなものを買つて還つてきた。

夕御飯をすませたら早速カレーが作りたい。今日はもうお腹一杯。でも作りたい。作るぞ。

玉葱、じやが芋、あとは何だつけ。茸があるや、茸を入れよう。キャベツも入れよう。にんにくも入れよう。あ、テンペがある。これも入れよう。蒟蒻、ううん、これはやめておかう。鹽(しほ)、胡椒、ホットペッパー、ガラムマサラ、月桂樹の葉、ううん、日本風?

といふわけで、明日のカレーができました。明後日の分まであるかも。チーズを削りかけたりヨーグルトを入れたりいろいろにして食べるのだ食べるのだ。

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