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毎日反省だ。

こんなことがあつた。午前中にまちなかでお巡りさんが大勢出陣してきた。なにかプラカードのやうなものを持つてゐる人もゐる。長距離競走のために交通規制中だとか、さういふ文句が書いてある。

それを見て、いやあな感じがした。運動關係のことにコンプレックスがある。するのも見るのも大嫌ひだし、關はりたくないのだ。今の時期、世界的な運動會があることをたまたま知つてしまつて、なるべくニュースを見ないやうにしてゐるぐらゐだ。幼いころの傷がまた開かないやうに、ひとに對して優しい氣持ちでゐられるやうに、そのために、運動になるべく關はらないことが重要だ。

世界的な運動會が差別的なのは、一つには、それが國ごとの對決の構圖になることにある。貧乏な國、條件が整はない國は絶對に勝てない。いくら應援してもパプア・ニューギニアが勝つことのない勝負であるのに決まつてゐるのが、どうして面白いものか。寒い條件が整はないとできない競技にはどうせ代表も送れないだらう。さうして自國の代表がどんな活躍をしたのか、ほとんどの國民は知ることもない。テレビもなければあつたつて放送に使はれる言語は知らない、もし町に出ることができて新聞があつても文字も讀めない、競技のほとんどはあらましさへ知らない。運動會が催されたことも知らない。知らない、知らない、そんなこた知つたこつちやないよ。

選手は、現代の設備で、最新のトレーニングの方法で、自分のからだをいぢめていぢめていぢめぬいて、あるいはチームの人間にいぢめられたりして、頑張つて頑張つて勝負にいどむのだ。おたくの精神は好きなので選手は應援するのだ。一部の人のマニアックな追求は尊敬に値する。さういふ趣味はないけどね。

氣持ち惡いのは熱狂する大衆である。この贅澤な觀客は古代ローマの貴族に比せられる。奴隷の眞劍な果し合ひ、殺し合ひに臨んで、自分の奴隷、贔屓の奴隷に賭けて聲援を送る。さうして、多くの奴隷は涙を飮みながら死んでゆくのである。可哀想でならない。

長距離競走のために交通規制をするといふのは、人類の歴史において非常に特殊な局面といへる。車といふ乘り物があつて、舖裝された道路があつて、かなりの交通量があつて、そのために交通規則が必要であるやうな、よりによつてそんな場所で非常に嚴密な規則に從つた奴隷の果し合ひをさせるのである。さらにはその風景が、お茶の間貴族に音聲映像を遠隔地から送る器械で中繼され、あるいはその日のうちに文字による情報が電子的に世界中をかけめぐつたり印刷されたりしてしまふ。明らかに現代の我われの文化に特有の現象である。

その日の午後、別のことで精神が昂ぶつてゐた。そこへもつて、道端でなんとか新聞の旗を配る青年がゐた。奴隷の果し合ひに旗を振れといふのである。すいとつきだされた旗に悲鳴をあげたかつた。押し付けがましいにもほどがあるよ。「さういふの、大嫌ひなんです」と言つてしまつた。運動も嫌ひならなんとか新聞も嫌ひなら熱狂する大衆も大嫌ひで泣きたかつた。あんまり大袈裟なので驚かれたかもしれないけれど、その時、本當に涙をこらへるので精一杯だつたのだ。

日雇ひのアルバイトだつたらうね。ごめんね。いろんな人がゐて、おや旗だよ良かつたねこれを振つて聲援を送りませうといふ人もゐれば、ああ要らないよといふ人もゐれば、あらなにかあるんだね紀念にもらひませうといふ人もゐて、旗はもらはれたりもらはれなかつたり、すぐに棄てられたり抽斗にしまはれたり、いろいろだらうけれど、嫌がられたことはなかつたかもしれないね。

コルワ・ダスティといふ非常にローカルな素人ラグビー・チームを應援してゐます。恰好良い名前つけたね。といつても、いくら説明されても規則が分からないし、何が面白いのかも分からない。ぼうとしてゐるうちに觀客がわあ、と沸き立つとにこにこする。それだけです。ラグビーなんだかレスリングなんだか分からないやうなとつくみ合ひが始まるとはらはらします。試合が終はつて、今囘の俺の活躍は、なあんて自慢氣に言はれると誇らしいし感心する。それだけです。歸屬意識をもつたり共感したりするコミュニティーは、決して「日本」だの「パプア・ニューギニア」だのといふ茫漠たる抽象概念ではない。それが實感です。

とまれ、思春期を疾うに過ぎて多感にすぎるのは問題だ。けふもなかなか眠れません。

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コメント

よくぞゆってくださいました。
ほぼ全面的に激しく共感します。

ほぼっていうのは私はスポーツは好きだしずっと体育会でやってきてそれはマゾヒストだからでその点が全然違うけど、

この時期は新聞は見ないようにしてるし、今は取ってないけど取っていたときは世界運動会期間中だけ講読をやめるってこともしてました。冬はまだいいけど夏は耐えられない。スポーツは好きなんだけど報道に耐えられないので結果として運動会大嫌いになっています。

特に一番大嫌いなせりふは「感動をありがとう」です。そういう感受性の乏しいオリジナリティにも想像力にも欠けるせりふをよくも恥ずかしげもなく大見出しにできるもんだと、その一点をもってしてもマスコミは信用できません。
てゆーか、もっと大事なニュースあるやろ!!

スポーツやる人間の一人としてそれがやってる本人にとってどんなに大事なことかものすごくよくわかる。私もずっと打ち込んできた。私が学生生活全てをそそいだ大会が某国の象徴が死に掛かっているってことで中止になるかもしれなかった時には眠れない夜を過ごした。でも、やってる当人にとっての価値は100%認めるけど世界一だろうが二だろうがそれは断じて一面と社会面を覆い尽くすべきものではない。

と私もこれを書き出すと止まらなくなってしまうので、興味のない人間はほっといてくれと強く訴えて(少なくとも私の周りにも何人かはいます)このへんで失礼します。

多感すぎるとは思いません。こっちが普通ですよ。

投稿: せいと | 2006/02/17 11:05

面白いもの人類と、文句や古代ローマなどをパプアしたかった。


投稿: BlogPetのDua | 2006/02/17 12:54

それは果たして奴隷の殺し合いなんだろうか。
銀幕の中の人や、書物の向こうの人は、檻の中に閉じ込められた動物なんだろうか。
日本のどこか知らないところで猟奇的な事件に遭った不幸なひとりのことを共感しなければならないニュースはそれほど大事なニュースなんだろうか。

決して反論をしているわけじゃない、
ただその傷を和らげることができないかなと思って。

投稿: Yalwai | 2006/02/18 16:38

Yalwaiさま

猟奇的な事件のニュースもそんなに大事だとは私は思いませんが、もし何が大事かを多数決できめるなら運動会も事件も上位にくるだろうこと、その結果ある程度大きく報道されることは否定しません。

それにしても最低限の節度というものがあるだろうと思うのです。そのニュースに関心がない少数者にも旗やら感動やら共感を強いる点において、報道の押し付けがましい姿勢は共通していると思います。もし運動会にかわるニュースも大して重要じゃないにしても、あるいは

奴隷の比喩は苦役を強いられる人(自分自身によってを含み)という点で私には頷かされるものですが、仮に好きで苦役をやってる人たちは奴隷じゃないにしても

ある感情を押し付け傷に触れるのをやめてほうっておいてくれない限り、残念ながら傷が和らぐことにはならないのではないかと思います。

ところで一昨日の事件は、知人が記者会見していたというぐらい、私には身近なところで起きました。「地域の人々は一様に不安を」とかの報道がいかに地域の人々の感情と乖離しているか、実感した次第です。

投稿: せいと | 2006/02/19 07:16

> せいとさん

思ひがけずスポーツ好きの方の贊同、嬉しいです。
さまざまなレベルでの單位共同體の内部における共同主觀的同型性。
革命の日は近いのだ。

> Yalwai さん

あとづけの理由にはいろんなことがまぜこぜです。
つまるところ人間の存在は本質的な矛盾を抱へてゐる。
御察しの通り、けふも醉つぱらひのたはごとです。

> Dua

白人接觸以前のニューギニアを古代に譬へることは個人的には避けたい。
古代ローマほどに「文明的」ではなかつたかもしれないし、
「石器時代」とは言つても舊石器を使つてゐたわけではない。

投稿: glmai | 2006/02/22 02:08

すいうにを規制しなかった。


投稿: BlogPetのDua | 2006/03/03 12:59

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